
1999年8月 ブルーシーガルY オーナー:上田 孝
私たちもしばらく見ていたが艇に帰って来た、艇から見ると海水浴場で上げている、花火が美しい、今年は昨年より時間が長く豪華である様に思う。 花火を見ながら再度飲み直し、寺田君等が昨年のレースでは優勝した、今年は二連賞を狙う意気込みで話しに力が入る。10時頃みーちゃんが此れから帰る、皆さんによろしくと電話が有った。しばらく皆んなで話をしていたが、美代ちゃん、抱っこ、三保子、薫ちゃんの四人が帰って行った。我々も12時過ぎ明日のレースに備えて寝ることにした。 ![]() 8時に艇を出す、寺田君がCクラス我々がBクラス、9時にCクラススがタートをした。無線で111番フライングしたと言っている、解消すると思っていたが無線を聞いていなかったのか寺田君等は其のまま行ってしまった、我々も9時15分スタートする、南西の風、微風で追って3ノットのスピーンランと成る、我々も一足遅れてスピーンを上げるが、風を掴みそこなって後続艇に抜かれてしまう、第一マーク回航後は上りのタックタックを繰り返して行く、風も少しは上がって来て、見かけで10ノット。艇足が伸びない原因が解らない、後続艇に抜かれて行く、第二マークを回ってゼネーカーを上げる、艇足が伸びるが風が西にシフト後ろの艇がスピーンを上げて追い上げて来る、やはりスピーンの威力は大きい、結局Bクラス一四位となる。寺田君等が残念ながら一位でフイニッシューしたが失格と成った。表彰式に続いて抽選会我々が抽選で電動シャワーを貰って艇を此のまま再度舫って寺田君の艇に乗せて貰って無事6時過ぎに泉大津港に帰って来た。寺田君等は二連勝ならず残念であった。 沖よりのスタートと成る、午前8時花火と共に一斉にスタートを切った。コウターリーの北よりの風、すぐさまスピーンを上げる、スピーンを安定さして後ろを見ると各艇もスピーンを上げている、ダントツでトップ、磯よりの風をつかんでジャイブジャイブを繰り返して我々のクラスでは一位をキープ陸が近くなって来たので沖だしをすることにした、左舷を見るとIMSとCRクラスの先行き艇が近くに見える、此のまま沖だしをすれば彼らの真ん中より少し前に突っ込むはずだ、早速ジャイブをしてCRクラスのヤマハ31Sを風上より抜いて気持ち良く走っていた時にパーンと大きな音と共に突然スピーンが破れたて落ちて来た、スピーンを回収してゼネーカーに上げ替えて走ったが次々と後続艇に抜かれて行くが成すすべもない、岬を交 わして回航点までの間に我々と同クラスの後ろにいた艇約30艇ほどに抜かれてしまった。回航後は上りの風タックタックで何艇かを抜き返したが結局順位は16位と成った。スピーンを失った艇は哀れなもので昨年より悪い結果となった。泊地に帰る途中に寺田君をフエリー乗り場に送って我々は元の泊地に接岸、レースはともかく港に着くと、昨年同様に女性陣が来た、4時過ぎにはパーティが始まり酔った勢いで7時頃にはヨット連で両国通りの演舞場に全員で踊りに行く、皆そろってヨット連で踊って行く、次はお城跡の演舞場に移動し此処でもヨットセーヨットセーと踊りまくって大賑わい、我々は役所本町通りの桟敷に踊り見物をする。今年で三年連続の阿波踊りヨット レースの参加となった、もうボチボチ卒業かなと考える。女性陣は予約をしていたホテルに泊まり、我々は昨夜同ように銭湯に行き艇に帰って来た。 ちらにやって来る、セィルを上げずに屋形船、近くになりよく見ると「たなぼた」だ近くによって声をかける、樋泉さんは今日このまま帰るという、今朝4時30分に栗島を出港したらしい、栗島の現状を聞いてみると泉大津を13日に出港すると言っていた土屋さんと、中元さんの艇が来ていないという、おかしいなーと思いつつ携帯電話で土屋さんを呼び出して聞いてみると、現在小豆島の内海に停泊している、これより出港するとのこと、我々は一路粟島に直行することにした、潮が良いので鳴門を通過後幾分か押してくれている、昼過ぎまで助けてくれていた潮が逆潮と成って艇速が伸び悩む、前さんと、篠原さんの顔を見ると日焼け止めにと塗ったクリームで真っ白でゾンビーの様な顔になっていた。瀬戸大橋の下を通過する、此のころには潮に押し戻されて対地速度4ノット強まで落ちる、午後2時過ぎ に栗島に到着した。此の艇に成って二度目の粟島泊と成った、早速桟橋に係留して河田氏の説明を聞く、皆が思い思いに艇を下りて散って行った。粟島は我がクラブの坂井さんの第二の故里色々と説明をして貰う、此処も年々人口が減っている、若い人が島離れをして帰ってこないらしい。小学校も閉鎖をしていた、数人いる子供たちは船で本土の小学校に通っているらしい。午後6時を待ってパーティの始まりだ、土屋さん等が未だ到着しない、しばらくして携帯電話を掛けると港の入り口まで来ているという、しばらくすると大勢でやって来た、皆そろってホテルの食事とパーティの焼き肉で食って飲んで満腹満腹。その夜は艇を離れてベットで休む。今年のクラブのクルージングは豪華だ、五月の連休に続いてホテルで泊まる。河田さんに感謝感謝ご苦労様。![]() 交わして進むが、今日も風がなくメィンを上げているが日よけの役目にしか成らない、先に出港したパパラギが津田港に到着したと河田氏より携帯電話で知らせて来た、しばらく進むと津田の漁港が見えて来た、パパラギにVHFで連絡して津田の桟橋に着岸する、着くなり一言、家村さんがカニは休みで残念だと、アリサー共々言っている、ここは釣り公園にも成っていて、早速皆が釣りをするが何もつれない、此の施設は、村おこしのため一億貰って行った事業だと言っていた。しばらくして河田氏の「ほのぼの」河田さんと酒井さんが到着する、河田氏と前さんがパパラギから取り上げた浮輪を片手に泳いでいる。側で釣っていた釣り人が逃げて行った。其のうちに「光洋」の伊藤さん一家が到着した。此れで4艇我々の貸しきり桟橋となった。しばらくすると雨が降って来た、此の桟橋の所にあるカ ニ荘が休んでいるここで夕飯をと思っていたが残念無念。雨上がりを待って遠いが国民宿舎に行くことにした、皆そろって7時過ぎに行く、遠いので女房が積んで来た自転車で行くと言う。国民宿舎は大きな風呂で気持ちが良い、入浴すまして食堂で各自めいめいに注文し満腹に成って艇に帰って来た時は10時を回っていた疲れていたのか皆そのまま眠りに付く。 て帰って来ると茶粥がで来ていた、ふと見ると河田さんも出港して行く、朝粥をかき込んで我々も出港準備、津田湾を出たところで良い風だメィンを上げる、しばらく機帆走していたが風が次第に強くなるエンジンを止めても8ノット、今回のクルージングで最高の走りだ、気持ち良く走っていたが鳴門からの風が段々と強くなって来た、ワンポンリーフと思ったが五月の連休にメィンを破った事が頭をかすめる、波も悪くなって来た、メィンを下ろしてエンジンをかける、ジブとエンジンの機帆走、眠くなったので皆に任せてキャビンに入る、しばらくうとうとしていたがそのうちに眠ってしまった。先程「光洋」の伊藤さんを抜いたと言っている、デッキに出てしばらく進むと、前方に「ほのぼの」が見えて来た彼らはメィンをワンポンリーフしてジブフアーラを半分だしの機帆走で走っている「ほのぼの」を抜いて明石海峡に入 って行く逆潮の反流に乗せて大阪湾に入って行く明石寄りを見ると土屋さんの「ウエルカム」と中元さんの「酔酔」が走っている、同時刻頃彼らも出港したらしい、昼飯を食べていると波が良くなって来たのでメィンを上げて帆走をする、上り60度の風5〜6ノットで走っている、しばらくすると泉大津の灯台が薄ぼんやりと見えて来た、午後4時頃に泊地に着岸した。今回のレースとクルージングは日和に恵まれて航海中は雨にも遭わずに太陽のかんかん照りにも悩まされず、楽しい日々を過ごしました。乗員の皆様ご苦労様、クラブの皆様ご苦労様、役員の皆様ご苦労様。
ブルーシーガルY 上田 孝 |
|||||||||