愛艇ぐらふてぃ
K-24

上架中。K24フィート
設計者熊沢、造船所、横浜の岡本造船。木造、マホガニー、ストリップブランキング工法。全長7,48センチ、 重量2,5t、バラスト1,2t。


同上帆走写真。


昭和四十四、五年頃当時ロイヤル石津ヨットクラブの仮屋クルージング。

この艇は昭和四十二年二月に当時乗っていたヤマハのキャビンクルーザーを浜寺ボートに売却して、浜寺ボートの田中さんの紹介で買った、新艇一年半落ちの中古、沼津港より回航し、五年ほど乗って、一時売った、その後同艇を昭和五十一年に買い戻した。
『回航は私と当時の友人石飛、私たちはヨットの経験が無いので、浜寺ボート前の石津川水路で自作艇を作っていた内田氏と後一人名前が忘れたが当時学生であった人、と四人で沼津より伊勢志摩まで回航し、一週間後再び私ら二人と門田氏当時大学生、と田中さんの息子竜ちゃん当時高校生の四人で和歌浦まで回航しその後私たち二人で石津港まで回航した。』内田氏はその後艇24フィートを完成させ、磨墨と命名し、しばらくして沖縄に行き、その後沖縄に移住したと聞きました。
雑誌舵にヨット仙人と言う見出しで載ったこともあり、沖縄より徳弘氏を訪ねてきた来たこともありました。
ソレイユ・ルボン26

ルボン26
  写真は西宮,進水回航前。


同上帆走。


同上帆走。

この艇は昭和五十六年、135イーストに当時勤めていた門田氏(現在同社社長)の紹介で2年落ちの中古、この艇は門田さんの話を聞き元の名は清波行で30フィートに乗り換えのため、信用し現物を見ず契約をした、西宮より回航、この艇に成って石津の港ではバラストが仕えるので、開港前で有った淡輪に係船する、当時は徳弘さんや西村さん、沢田さん等も淡輪に係留をしていた。その後淡輪開港と同時に泉大津港に係留する。
『この艇の回航は友人の中島氏と二人で回航した』
YAMAHA-30S

YA30S,スピーンラン、


YA30S帆走写真。


YA30S帆走写真2。


YA30Sコックピット。

この艇はヤマハ30S特注艇、昭和60年6月、135イースト門田氏に仲介してもらって3年落ちの中古、当時山口県NORC 内海支部の支部長が所有していた物、山口県間で見に行き決定した、徳山港より回航する、係留は泉大津港。
その後エンジン2GMと乗せ返る。
『この艇の回航は泉大津のヨットクラブのメンバーの内田氏米田氏西野氏の三人と私の四人で回航をした』

デへーラー36CWS

デへーラー36CWS
  帆走写真


デへ―ラー36CWS,同上


デへ―ラー同上帆走


デへーラーコックピット写真

この艇はセンターに電動ウインチとセルフタッキングジブが特徴、雑誌舵の売りますを見て、北海道に行き、契約をする、この艇した理由は艇が大きいが、デへーラーの宣伝文句にも有るように、少人数で操船可能、レースは別としてクルージングなどはセルフタックで何もしなくて良い、ウインチも電動でスイッチポンでOKだ、キャノピーも付いていたし冬は楽であるし改造は一切していなかった又信頼の置けるメーカーでロイドの認定書もある。
3年落ちの中古、前オーナーが歯科医師で大事に乗っていた、室蘭ヨットクラブ会長、次に買う艇はフランスのカタマラン35フィート、話では一度カタマランに乗りたかったらしい、8月のお盆に入ってくるので、急遽話は決まった、平成6年8月9日出航、北海道室蘭エンルームマリーナ―より回航する。
『回航メンバーは私と弟の賢三、遠藤氏、鈴木氏の四名で下田まで回航し、下田で私の女房とみーちゃん、弟の友人 和明の三名が乗船し、合計七人でその後はクルージング気分で回航をした』
艇名について。

K24は初期艇名「てる」二度目は「あや」その後子供の希望で銘銘。「ブルーシーガル」とする事になった。理由に付いては「以前乗っていたモーターボートは船名シーガルとしていて、一艇目は日東防の14フイート、名前なし。二艇目は永大産業の17フイート艇名を付ける、ムーンライト。3艇目はヤマハの18フイートキャビンクルーザー艇名シーガル」

当時関東で活躍していた、関根氏の所有艇の艇名は「レットシシャーク」で有ったので、此方は頭にブルーを付けてサメでなく、カモメにする事にした。
ルボンは艇名「ブルーシーガル」と命名し以前の「てる。あや」と今回の艇でヨットではVとした。
YA30Sは本来は「ブルーシーガル」Wとなるが四を嫌ってXとした。
デへーラー36CWSはXの次で「ブルーシーガルY」としました。